セイラは一度寝たら朝まで起きない子供だったが、この日は珍しく夜中に目が覚めた。 トイレに行って寝室に戻る途中、ふと窓の外を見ると、北の空が赤く染まっていた。 不思議に思って暫く眺めていると、やがて外が騒がしくなり、家の前の広場にたくさんの大人が集まって来た。 大人たちは口々に何かを叫び、北の方を指差したりしている。 騒ぎを聞きつけ起きて来た両親は、セイラを強く抱きしめ、食い入るように赤い空と上がる噴煙をみつめた。 あの方向にはカレッカの村がある。 母の顔色は真っ青だった。カレッカには母の友人が住んでいた。 綿花の産地であるカレッカは、秋になると白い綿で覆い尽くされる。 昨年からセイラも、母に付いて収穫の手伝いに行っていた。 雪のようなもこもこの綿を、籠一杯に集めるのは楽しい仕事だった。 来年もまた来ておくれ!と、豪快に笑った母の友人の女性の顔が頭に浮かんだ。 カレッカの村が都市同盟に焼き払われたという報がキーロフに届いたのは、翌日の昼近くになってからだった。 Larimar 夜空を赤く焼く炎と煙は、モラビア城からも視認できた。 見張りの報告を受け、城主カシム・ハジルはマッシュ・シルバーバーグに一個隊を与え、村へと向かわせた。 マッシュは軍師としてまだ年若い上、城内で策を練るより、戦場で直接指揮を取る方が性に合っているタイプである。実践経験を積む意味もあり、カシムの名代として出撃することは少なくなかった。 真夜中の砂漠と川越えという強硬行程の末、モラビア隊がカレッカに到着したのは、空が明るくなりだした頃だった。 それは正に地獄絵図だった。 未だ燻る炎、村に近づくにつれ濃くなって来た血の臭い、地面に倒れ伏す夥しい数の死体……敵襲にあった町村でよくある光景ではあった。 だが動くものを求めて、ギラギラと野獣のような目で走り回る兵士たちが身につけている鎧は、都市同盟のものではなく。 「マ、マッシュ様……」 すぐ背後に控える部下が息を呑む。 「――そこか!!」 気配に気づいた兵士が振り返った。 血に狂った瞳が、マッシュとモラビア隊の姿を捉えた瞬間、 「……あ……!」 見る見るうちに兵士の瞳から狂気が零れ落ちた。 代わりに浮かんで来たのは、混乱、恐怖、そして深い罪の意識―― 「う…あ、あ……」 同じように、近くにいた殺人鬼たちが次々と人間に戻って行く。血に塗れた剣が手から滑り落ち、膝がそれを追いかけた。 信じがたい光景に固まっていたモラビア隊が、我に返ってマッシュを庇うように歩み出た。 同胞から向けられた刃に、帝国の鎧を赤く染めた兵士が蹲って泣き崩れる。 その一方で、平然とモラビア隊を眺めている兵士たちがいた。 マッシュの前に進み出ると同時に左右から突き付けられた剣にも、怯む様子はない。 そのうちの隊長格と思われる兵士が、マッシュに敬礼した。 「副軍師マッシュ・シルバーバーグ殿ですね」 「そうだ。君たちの上官と任務は」 「軍師レオン・シルバーバーグ殿の命により、カレッカを襲撃した都市同盟を撃退すべくこの地へ赴きました。しかしながら我々が到着した時には既に都市同盟の姿はなく、カレッカの住民は全て殺害された後でした」 「何を言う!お前たちが人々を殺していたんじゃないか!何で帝国軍がこんなことを!!!」 モラビア隊から上がった非難など聞こえていないかのように、兵士は報告を続ける。 「本作戦の指揮官は、謀反兵の手にかかり落命されました。件の百人隊長はそのまま逃亡、目下追跡中です」 「そうか…」 「いい加減にしろ!よくもぬけぬけと…!」 血気にはやったモラビア隊兵士が、剣を片手に飛び出そうとする。 「退け!!」 マッシュの鋭い怒号に、その場が水を打ったように静まり返った。 「この場は私が預かる。両隊、カレッカでの作戦については今後一切の口外を禁ずる。討伐隊は直ちに帝都へと帰還、都市同盟撤退とカレッカの状況の報告をせよ。事後処理は我々モラビア隊で行う」 「マッシュ様!」 モラビア隊から悲痛な叫びが上がる。 討伐隊はマッシュに一礼すると、命令に従い身を翻した。 「マッシュ様!何故あいつらを行かせるんです!?カレッカの人々を殺したのはあいつらなのに…っ」 その言葉に、蹲っていた兵士たちの嗚咽が深くなった。怒りの矛先を求めて、モラビア隊が再び彼らに剣を向ける。 それを再度厳しく制して、マッシュはモラビア隊に遺体の収容と生存者の確認、火事の鎮圧を命じた。 渋々ながら兵士たちが動きだす。 (結局、あなたの思惑通りになる訳ですね…) 未だ燻り続ける家々を見上げながら、マッシュはレオンの駒を務めざるを得ない自分に、眉間の皺を深くした。 事が起きてしまった以上、引き返すことは出来なかった。 都市同盟の侵攻により、帝国領の小さな非武装村が滅ぼされた―-このシナリオは長い戦いに疲弊していた兵士たちを、大いに鼓舞する事だろう。 明確な敵を与えられた国民は、皇帝への不満などと言う些末な事に関わっていられなくなる。国民の心は打倒都市同盟の声の元、一つになるだろう。 故にマッシュは真実に蓋をした。 無残な遺体を目の当たりにしながら、自分の意思でレオンの策に乗った。帝国に勝利を齎すために。 でなければ、カレッカの民の犠牲が全くの無駄になってしまう……。 討伐隊の殆どは帝都へと出発したが、中には残って事後処理を手伝う兵士もいた。 彼らは作戦内容を直前まで聞かされていなかった末端の者たちだ。 詳細を知って拒否しようにも、周りの状況がそれを許さない。 仲間が躊躇いなく人々を切り捨てて行くのを見ているうちに、自分の方が間違っている気がしてくる。追い打ちの『命令』の一言は、叩き込まれた軍精神を刺激し、断腸の思いで最初の一人を手にかけた瞬間、良心は弾け飛んだ。 そう、人は簡単に狂えるのだ。 大義名分を与えられ、虐殺行為が正当化されれば、罪悪感が薄まる。上官に逆らうより、命令だから仕方がないと流される方が遥かに楽だ。 目の前に居るのは自国の民なのだと叫ぶ理性も、一旦壊れてしまえばあっさり麻痺する。 鍛えられた兵士相手と違い、無抵抗の人間を斬るのは容易過ぎて、己の力に酔う悦びさえ感じていた事だろう。 戦争と軍隊の狂気というものを、改めて思い知らされた。 軍師はそんな兵士たちを駒として動かし、策を成すのだ。 軍師の持つ業の重さにぶるりと震えた体を押さえつけ、マッシュは生存者の捜索を始めた。 焼け残った家々を回るが、見つかるのは炭化した遺体ばかりだった。 本音を言えば、生存者は諸刃の剣だった。 兵士たちには緘口令を敷いたとしても、生存者が真実を語る事は止められない。カレッカの虐殺が何の為に行われたかを考えると、生存者がいないでくれる方が問題は少なくなる。 そんな風に考える自分に、益々嫌気がさした。 村の中心部から離れるに従って、残存する家が多くなってきた。火は丁度村の真ん中で放たれたらしく、村外れの小さな家は殆ど無傷だった。 玄関の扉を開けた所でやられたのだろう。入口付近に父親が、そこから順々に子供たちの遺体が続き、居間の壁に凭れかかるようにして母親が事切れていた。 「誰か生きている者はいないか?」 惰性となりつつあった生存確認の呼びかけに、初めて反応があった。 コト… マッシュの耳は、微かな物音を捉えた。音のした方へ歩み寄る。 母親の遺体の横にある、大人の身の丈ほどもある大きな置き時計の扉に手をかけ、ゆっくりと開く。 そこには狼と七匹の子ヤギの童話の如く、小柄な子供が隠されていた。 ***** 呼ばれて、ハンフリーは振り返った。 声の主は、つい最近ハンフリーの隊に配属になった若い兵士だ。 軽装の鎧から覗く手足は、細身ながらよく鍛えられている。小回りの効く体を活かし、弾丸のように敵陣に飛び込み敵を薙ぎ倒す様は、新兵の中でも一際目立つ存在だった。 「お尋ねしたい事があります」 質問と言うより詰問めいた響きに、ハンフリーの眉が僅かに寄る。 「……何だ」 「隊長はかつて帝国軍の兵士であり、カレッカの事件で都市同盟を撃退した部隊の百人隊長を務めていらしたそうですね」 「…!………何故…」 ハンフリーが驚愕に目を見開く。 カレッカの事は誰にも、オデッサにさえ話した事がなかった。 だが目の前の相手は、推測ではなく確信を持って問いを口にしている。 狼狽するハンフリーに追い打ちをかけるように、兵士は続けた。 「解放軍の幹部となり、帝国に反旗を翻していながら、何故真実を叫ばないのですか?カレッカで何が起きたのかを公表すれば、解放軍は皇帝を討つこの上ない大義名分を得る事になる。絶対的な追従こそ忠義と勘違いしている一部の『忠臣』以外は、皇帝に見切りをつけるいいきっかけになるでしょう。それができるのはあなたしかいないと言うのに、何故沈黙を続けるのです?自分の名誉を守る為ですか?罪を蒸し返すのが怖いのですか?どうなのです。カレッカでの作戦指揮官を殺して逃亡した、元赤月帝国軍百人隊長ハンフリー・ミンツ殿」 「――っ…!!!!」 あの夜の事は忘れられる筈がなかった。 何度夢に見て、うなされたか知れない。 記憶を沈めて罪悪感から逃れようにも、死者の叫びがまとわりついて離れなかった。 軍人である以上、たくさんの命を手にかけた。「太刀のハンフリー」の二つ名に恥じない勇猛な戦いを繰り広げて来た。 だがそれは戦場に於いての事。 一般人を、それも守るべき自国民を惨殺する命令など、従える筈もなかった。 ハンフリーの抗議も空しく、一部の兵士たちは忠実に命令を実行した。ハンフリー同様、最初は拒否していた兵士たちも、いつしか殺戮に加わっていた。 ――命令に従え。そうすれば楽になれるぞ。どうせ綿花を摘むしか能のない貧しい農民たちだ。死んで帝国のお役に立てるなら、奴らも本望だろうさ。 後にも先にも、あれほどの怒りを覚えたことはない。 指揮官の嘲笑じみた笑みに、目の前が真っ赤になった。 気が付けば、手にした剣は指揮官の血に濡れていた。 捕えられる前に、馬を奪って逃げた。 そうしてハンフリーは帝国軍を離れ、オデッサと出会い、解放軍に身を置く事になったのだ。カレッカの事件は深く胸に秘めたままで。 「…お前は何者だ」 喘ぐように、やっとそれだけ絞り出した。 相手の年の頃は十代後半と言ったところか。この年で九年も前の事件の詳細を知っているとなれば。 「『カレッカ』ですよ」 口角を持ち上げ、若い兵士は唇だけで笑った。 「自分は『カレッカ』です。信じていた自国の軍に殺された、ね」 「…!………」 「失礼します」 挑むような視線を残して、兵士は去って行った。 兵士の眼にハンフリーに対する怒りや憎しみはなかった。 ただ何かに追い立てられるような焦燥感と、やり場のない空しさが感じられた。 「そうですか、そんな事が…」 ハンフリーの話を聞き終えたマッシュは、深い息を吐いた。 決戦前夜、ハンフリーはマッシュの元を訪れ、己の過去を告白した。解放軍の中でカレッカの真実を知るもう一人に、あの兵士の事を告げたのだ。 「その兵士の身元に心当たりがあります。年齢や外見的特徴から言って、恐らく間違いないでしょう。カレッカの惨劇で唯一生き残った子供です」 母親のとっさの機転に守られ生き延びた子供は、マッシュの手配でセイカの田舎へと預けられたが、ひと月と経たないうちに養父母の元を逃げ出し、行方知れずになったという。 救出された時に、恐怖に怯えるでも安堵に泣くでもなく、憤りを込めた目で睨みつけて来た子供。 行方が気なっていたが、まさか解放軍に加わっていたとは。 ハンフリーの事を調べ上げたならば、マッシュやあの作戦の発案者であるレオンの事も当然承知の上だろう。 故郷の敵であるレオンを迎え入れたマッシュを、どう思っているのか。 件の兵士はその後、隊の異動を申し出て、以来ハンフリーの前には姿を現していないという。今は、相変わらずの鬼神のような戦いっぷりの噂を聞くだけだ。 「何故真実を公表しないのかの問いに、私は答えられませんでした。確かに怖かったのかもしれません。自分の愚かさと向き合う事が」 「虚偽は時として、真実より重みを持ちます。真実が必ずしも正しいとは限らない。暴く事で膿が出て浄化されるなら良いが、腐敗を進めるだけなら埋めてしまうのも一つの手です。民衆が望む平和な未来の為に、我々はカレッカという真実を埋めた。あの兵士も判っているのでしょう。だからこそハンフリー殿や私に復讐心を向けるのではなく、戦いそのものに怒りをぶつけている。解放軍の勝利があの子供の心も解放してくれる事を願って、明日へ進みましょう」 「……はい」 ハンフリーが退室した後、マッシュは自分の両手を見下ろした。 置時計の中の子供を抱き上げた時の重みが甦って、強く拳を握りしめた。 ***** ザクッザクッ 熱い日差しの下、重い鍬が軽快に土を掘り返している。 雑草の蔓延った固い土も、彼の鍬にかかると、いとも容易く解されて行く。 「あんたはこの戦いで何を残したかったんだ?」 鍬を振う手は止めず、先ほどからずっと傍観している若者に向かって、ブラックマンは言った。 「残したいものなんてない…」 抱えた膝に顎を埋め、若者がぽつりと返す。 「では何のために解放軍に入った?あんたの自殺行為とも言える戦いっぷりは知っている。死に場所を求めていたのか?」 「……死にたい訳じゃないけど…死んでもいいとは思ってた」 「勿体ない。惜しまない命なら、生きたくても生きられなかった人間にくれてやればよかったんだ」 「………」 ブラックマンは懐から小さな包みを取り出すと、若者に向けて放った。とっさに両の手で受ける。 「何?」 「植物の種だ。わしが耕した所に蒔け」 「何で」 「わしはこの村で軍主に出会い、誘われて解放軍入りしたが、本来ここに来た目的はカレッカを緑で埋める事だった。植物は戦争に荒らされた大地を癒し、再生してくれる。その手助けをする事が、農夫としてのわしの使命だと思っている。あんたは残したいものがないと言ったな。戦いが終わり、あんたも近いうちに故郷に帰るんだろうが、その前にこの種を蒔いて行け。いつかあんたが再びこの地を訪れた時、出迎えてくれるのは、あんたが残した豊穣の地だ」 若者が包みの口を広げると、様々な種類の種が入っていた。 「………この中に綿花の種、ある?」 「綿花はないが、キーロフまで行けば手に入るだろう。あそこは貿易の町だからな。綿花の種を蒔くには時期的にも丁度いいが、綿花は定期的に手入れしてやらなければならん。わしの持っている種と違って、植えて放りっぱなしという訳にはいかないぞ」 「……綿が採れるまで、ちゃんと面倒見るよ。だから育て方を教えて」 「ではまずはキーロフで種を買ってこい。出来るだけ新しいものを選ぶんだぞ。年数が経ったものは発芽率が落ちるからな」 「判った」 遠ざかって行く背中が見えなくなるまで見送って、ブラックマンは再び土へと向き直った。 打ちこむ鍬の音が、心なしか先ほどより軽い。 ここカレッカがかつて綿花の名産地であった事は、ブラックマンも知っている。 綿花は雨が少ない乾燥した土地で、充分な日照時間がないと良質な物にならない。 その全てを兼ね備えた、綿花の栽培地として最適なこの地に、血生臭い事件を疎むばかりに人が寄り付かない事を残念に思っていたのだ。 若者が蒔く種はやがて芽を出し、花を付け、秋にはたくさんの白い綿を弾けさせるだろう。綿の絨毯は、往年のカレッカのように人々に笑顔を与えてくれるだろう。 そこにはきっと、あの若者の笑顔もある筈だ。 その時ようやく、カレッカは悲劇の過去から解放されるのだ。 赤月アンソロ2に寄稿したお話を再録です。 できるだけ1のキャラを出すのもお題でした。 タイトルのラリマーは世界三大ヒーリングストーンの一つで、効果は「癒し」です。 |