抱擁
それはまさに奇跡のようなタイミングで。 態度だって別に普段と変わらなかった筈だし、そもそも俺自身に自覚が無かったのに。 「テーッド」 全開に開かれた部屋の扉をこんこんと叩く音と、俺の名を呼ぶ耳慣れた声。 シオンが来た事はとっくに気配で知っていたのだけれど、その声で初めて気付いたフリをして振り返る。俺の座っていた出窓の、ちょうど正面にあたる入り口に立っているシオンの手には、一本の赤ワインと小さなワイングラスが2つ握られている。 「何だ?こんなまっ昼間から酒飲む気か?」 「たまにはいいんじゃない。どうせ外は雨でやる事ないんだし」 瓶とグラスをゆらゆらさせながら近づいてくると、俺のすぐ傍のテーブルにそれを置いた。ぽんっとコルクが外れ、続いてトクトクと赤い液体が注がれる音が耳に届く。 「はいとうぞ」 「……俺はワインは好きじゃない」 勧められたグラスを一瞥し、ぼそりと言い放つ。そんな事はこいつもよく知ってる筈なのに。 「うん、判ってるよ。でも僕が飲みたいんだ。一人で飲むのは寂しいから、一杯だけ付き合ってよ」 「……一杯だけだぞ」 グラスが小さい上、俺の方は注がれている量も少ない。一応考えてはくれたらしい。手に取るともう一つのグラスが近づいてきて、ちんっと小気味いい音をたてた。 「乾杯」 にっこり笑ってシオンがそれに唇を当てる。付き合うと言ったのだからこれ位は頑張ろう。本当は蒸留酒やワインといった類は一斉苦手だった。清酒ならいくらでも飲めるのだが。 「……乾杯」 こくんと嚥下すると舌に残る苦味と渋味。やっぱり美味しくない。 俺が眉をしかめたのを見て、シオンがくすくすと笑う。 「……何だよ」 「テッドって本当に付き合いいいよね。美味しくないもの飲ませてごめんね」 シオンの顔が近づいて来たかと思うと、すっと手が伸びて俺のグラスを取り上げる。まだ殆ど残っているそれを一気に飲み干し、シオンは空のグラスを返してよこした。 「…………シオン?」 グラスを俺の手に戻した後も、目の前の顔は離れていこうとせず。 「…ん…………」 そのまま口付けられた。唇の上をぬめりとした温かい舌がなぞって行く。 ぞくっ 躯に悪寒が走る。鳥肌が立つ。不快感ではなく快楽のために。 「テッド……」 出窓に座っている俺の方がやや視線が高い。俺の両足の脇に手を着いて、伸び上がってキスしてくるシオンに応え微かに唇を開く。潜り込んで来た舌はワインの味がして苦かった。 「ふ……ぅ……」 その体勢に疲れたのか、シオンの腕が伸びてきて抱き寄せられる。口付けの角度が深くなるのと同時に、手袋をしていない剥き出しの右手が、服の裾から忍び込み直に触れてくる。 手が胸の敏感な部分に触れた途端、霞みかかっていた俺の頭が一気に晴れた。 「こらっ!何してるんだっ」 慌てて悪戯している手を掴んで引き抜く。危なかった、雰囲気に流されるところだった。 「ん…少し酔ったみたいだ……。キスしてたらその気になった。ねぇ、テッド………しようよ」 耳元に低めの声で注ぎ込まれる甘い響き。地声はまだ変声期前の高い声なのに、こういう時の囁くような声だけは充分大人の色気を含んでいる。 大きな艶めいた目で見上げられ、ぞくりと下半身が熱を持ったのが判った。 「嘘付け。ザルのお前がこの程度で酔うもんか。大体今は昼間だって言ってるだろうが。ほら、離れろって」 だがそれを気取られないように、呆れた態度でシオンを引き剥がしにかかる。持っていたグラスを脇に置き、再び服の下で悪戯している腕を掴む。 「昼間だっていいじゃないか。どうせ外は雨だ。誰も見やしないよ」 「だからって………うわっ」 空いた手を引っ張られ、重心が前にのめる。シオンの唇が俺の咽に触れて来た。 「あ……こら……っ…」 「テッドが喋ると咽が動いて面白い」 「俺は面白くないぞ…っ………んっ……」 くすくす笑いながら、舌は俺の首筋から咽にかけてゆっくり嘗めあげていく。襟元を広げ、鎖骨に歯が立てられる。 「テッド、万歳して」 「…………」 「ね、このままじゃ君に触れられない」 この笑顔が曲者なんだ。シオンの指示に従うという事は、同意したも同じ。 「はい、いいよ。今度は片足上げてね」 上半身を身包み剥がされ、今度はズボンを脱がされる。……言われるままにしている俺もどうかと思う。 まだ昼間だというのに全裸にされた俺は、身の置き所が無くてもぞもぞとしていた。明るいところでマジマジ見られるのは、どんなに肌を重ねた後でも恥ずかしい。 「うん、やっばり綺麗だ、テッドの体は。無駄な肉が無くて、触り心地が良くてすべすべで……」 「そんなじっくり見るなよ……………っ……」 肌の輪郭をなぞるように触れてくるシオンの手に、息が上がるのを止められない。俺は一糸纏わぬ姿だから反応しているのは一目瞭然だ。 「見たいよ…君の姿は全部見ておきたい。何度見ても見飽きる事はない。大好きな僕のテッド……」 シオンの両腕に抱きこまれ、鼻腔を擽る香りにますます躯が高められていく。シオンの匂い。好きな人の香りは何にも勝る媚香となる。 「テッド?」 思わずぎゅっとしがみ付くと、シオンが不思議そうに顔を覗き込んでくる。くそ、今の俺の状態が判ってるだろうに。わざとなのか。 「……………れよ」 「え?何て言ったの、聞こえなかった」 「〜〜〜〜〜〜〜っ!!してくれよっ、はやくっ」 ああちきしょうっ。絶対わざとだ、こいつっ! 真っ赤になって俯いた俺の背中を、労わるように優しい手が撫でる。手袋をしていない生の手。 「うん……しよう、テッド……」 啄ばむような口付けから深いキスへ。体中の血が熱くなるのを感じる。気持ちがどうしようもなく高ぶっていく。頭の中が真っ白になる。融ける。溶けていく。 体中が幸福感で充たされる。何も判らなくなるほどに。 「……まさかここでやるとは思わなかったぞ」 出窓の下に座り込み、2人で肩を寄せ合って気だるい余韻に浸る。抱かれた肩が暖かい。 「たまにはいいだろ。テッドだっていつもより感じてたよ。やっぱり昼間で、しかも窓の傍だからかな」 「雨が降ってるからって、人が通らないとは限らないだろっ!それなのにあんな……」 出窓に奥深く座らせられ、窓に背を押し付けるようにして挿入された記憶がよみがえり、顔が真っ赤になる。もし外に誰かがいたら、何をしているのかバレバレだっただろう。 「平気だって。この先の崖で土砂崩れがあったみたいで、今この窓の外の道は人が通れないんだ。まあ獣は通れるだろうけど、人が来る事はないよ」 「なっ……お前まさか、それでこんなとこでしようって言い出したんじゃ……」 「最初から考えてたわけじゃない。テッドが窓辺に座ってるの見たら思い出したんだ。刺激的だっただろ?」 「………あのな……」 「嫌なら抵抗すればよかったんだ。僕は君が本気で嫌がる事はしたくないから。…………少しはすっきりしたかな」 シオンの裸の胸に抱き寄せられる。最後の方の言葉は小さかったが、ちゃんと俺の耳に届いていた。 「……シオン?」 だがシオンから返事は返らず、手は優しく背中を撫で続ける。労わるように、慈しむように。 「え……?」 ふいに涙が溢れ、俺は慌ててシオンに見られないよう目を擦った。何で泣くんだよ。泣きたくなんてないのに。 でも涙は止まらず次から次へと生まれて、ついに拭う手も間に合わずにシオンの胸に落ちた。俺が泣いていることにシオンも気付いた筈なのに、背を撫でる手に変化はない。 「……う………」 拭うことを諦め、シオンの胸で声を殺して泣く。ぽたぽたと落ちた涙がシオンの胸を伝っていく。 押し付けられた胸からとくんとくんと聞こえてくる音はどこまでも優しかった。 身支度を整え、俺は再び出窓に座って窓の外を眺めていた。雨もすっかり止み、日が沈もうとしている。 シオンはすぐ傍のソファで本を読んでいる。本中毒のシオンは、読み始めたら周りがまったく目に入らない。 目の端でちらちらとシオンを見やりつつ、頬杖をついた手の平の下でこっそり口を尖らせた。 ――何で判るんだよ。 自分でも気付かなかった不調。身体的なものではなく精神的なそれ。 理由も思いつかないような小さな心の闇に、シオンだけが気付き手を差し伸べてくれた。 知ったかぶりな慰めなどではなく、何も言わずにただ俺が本当に欲しかったものを与えてくれた。 ”愛して欲しい" 求めるんじゃなくて愛して欲しい。欲しがるんじゃなくて与えて欲しい。 母が子に与えるように、見返りを求めない無償の愛を注いで欲しい。 多少乱暴な方法ではあったと思う。だがそれは俺の深層心理の望みまで気付いていたという事で。 何も判らなくなるくらい、無茶苦茶にして欲しい。 自己の破壊願望。そんなことにまで気付かなくていいのに。 お蔭で欠けていた心は優しい想いで埋められた。充たされたことによって初めて自覚した、自分の望み。 更にシオンは己の行動も、俺が(無意識に)落ち込んでいた事に関しても何も言わなかった。 言わなくても判ると思っているのかもしれない。事実こうして俺はちゃんと判っているのだが。 「シオン」 出窓から下り、シオンの傍に近づく。珍しくシオンが一度の呼びかけで顔を上げた。本に集中できてなかったという事か。 「何?テッド」 昔と変わらずに見上げてくる大きな目に笑みが零れる。こうしているとあの頃のままのガキなのに。 「生意気になったよな、お前…………今度は俺がやってやるからな」 にっと笑って唇を掠め取る。きょとんとしたシオンの顔が幼くて可愛い。 「……テッドがしてくれるのは嬉しいけど、抱かれるのは嫌だからね。僕はテッドを愛したいんだ」 腕が伸びて引き寄せられる。予想していたことなので逆らわない。 「ああ……また愛してくれよ」 笑いながらしたこのキスが、今日した中で一番幸せなキスだった。 久々にエロくさい話を、楽しんで書きました。 最近エロが書けなくて行き詰まっていたのです(苦笑) やっぱり本番よりその前後の方が楽しいV <<-戻る |