鬱陶しいほど自己主張しているセミの鳴き声にうんざりする。 だが7年間も土の中に潜っていて、僅か7日間だけ与えられた子孫を残すための時間を、精一杯生きている彼らのことを思うと、仕方ないかと諦めの溜息が洩れる。それにこれは夏の風物詩なのだし、この鳴き声の無い夏というのも味気ない。 両手を組んで枕にし目を瞑ると、木陰で冷やされた涼しい風が頬を撫でて行った。 「……おい、寝てるのか?」 かけられた声にうっすらと目を開ける。そのとたん頬にぽたりと冷たい水が落ちてきた。 「…冷たいよ、テッド」 髪と言わず体と言わず、全身からぽたぽたと水を滴り落としているテッドが、シオンを覗き込んでいた。 「ああ、悪い。濡れたか」 全く悪いと思っていないどころか、楽しげにさえ聞こえる声にやれやれと溜息をついて体を起こす。先ほどまで同じように全身濡れていたシオンの体は、今は乾いて髪が湿っている程度だ。 「ちゃんと乾かしておいでよ。濡れたまま木陰に入ったら風邪引くよ」 「判ってるよ。俺はまたすぐ泳ぎに行くからいいの。今はお前の様子見に来ただけ」 「ふぅん?僕が寝てるかどうか見に来たってわけ。寝てたらどうするつもりだったの」 「……そりゃ勿論…」 にやっと笑うテッドに嫌な予感。 「こうするっ」 「うわっ、冷たっ。何するんだよっ」 全身びしょ濡れのテッドが、シオンに抱きついてくる。湖で泳いで冷やされ、それが乾いた状態のシオンにはテッドの体が殊更冷たく感じられる。 「えへへー、嫌がらせ♪」 くすくす笑ってますます擦り寄ってくるテッドに、お返しとばかりにその裸の背を下から上に人差し指でつつーっと撫で上げた。 「うひゃっ」 仰け反って慌てて離れようとする腰を抱き寄せ、目の前の冷えて硬く尖った飾りをぺろりと嘗め上げると、今度は先ほどとは違って甘い音を含んだ声が洩れた。 「………テッドって結構墓穴掘りだよね…。自分が今どんな格好か分かってるの?」 「な……もう、離せよっ」 真っ赤になってじたばた暴れるテッドを逃げられないように強く抱き締める。首筋から微かに香る水の匂い。耳から肩にかけて流れる雫を舌で嘗め取ると、テッドが怯えたようにシオンを見た。 その視線の意味を悟って、くすくす笑う。本当にテッドは墓穴を掘りやすい。 「安心してよ。さすがの僕もここでやろうとは思わないから。……でもさ、そんな裸に近い状態で僕に抱きついてくるなんて………誘ってるようなものだよ」 最後は耳に息を吹き込むように囁いてやると、腕の中の体がびくんと竦む。これ以上やると自分でも冗談で済ませられなくなるので、パッと手を離すと、テッドが飛び退るようにしてシオンから離れた。 「お前な…どこででも発情るなよ」 「じゃあこんなとこで誘わないでよ」 赤くなって睨みつけてくるテッドに、しれっと答える。 「誘ってないっ!」 「誘ってるってば。裸のテッドが抱きついてきて、僕が平静でいられると思う?」 「威張ることじゃないだろう!」 「威張ることだよ。当然のことなんだから」 「…あのなあ」 痴話げんかのような押し問答をくり返すこと数回、やがて。 「……もういいよ。まったく…」 疲れたように大きく溜息をついたテッドが、ぺたんとシオンの横に座り込んだ。 そのままごろんと横になる。濡れた体は水分をシオンに渡してすっかり乾いていた。 「……昔はテッドの体ってすごく大人ーって思ったけど、こうしてみるとまだ子供だよね」 まじまじとテッドの体を見下ろしながらぽつりと呟くと、テッドが僅かに眉を顰めた。 「…そりゃ俺の体は14歳で止まってるから…初めてお前と会ったころは12歳って言ってたから、12にしては大人の体に見えたんだろ。事実今のお前とほとんど大差ないぜ」 確かに同じく14歳で時が止まっているシオンの体と、成長具合はほぼ同じだ。喉仏が出て、肩が少し張って、第2次成長真っ只中の体。……これ以上成長することは無いけれど。 若干シオンの方が幼い体つきかもしれない。声変わりをしていないその声は、やや低めとは言ってもまだ少年のソプラノを保っている。 対してテッドはすでに変声期を迎えていた。温かみのあるハスキーボイスがシオンの名を呼ぶときは、いつもよりちょっとだけ甘くなる。 「そうだね。身長も同じだし…昔テッドの体に憧れてたんだよ。僕と同い年なのに大人っぽくってさ。2つも年上だったなんてすっかり騙されたよ」 「…でもこの年齢ってのは微妙なんだぜ?もう少し大人なら成長しなくてもばれにくいだろうし、もっと子供なら完全に庇護してもらえる。一番の成長期に全然成長しないとなると、そこに居られる期間っていうのは本当に短いんだ」 「………だからテッドも出て行こうとしたんだもんね」 「…仕方ないだろ」 シオンの視線から逃れるように、ふいっと横を向く。 責める様な口様になってしまったかと苦笑しつつ、シオンはテッドの髪にそっと手を差し入れた。 「判ってるよ。今は僕も同じなんだから……。でも僕は今の状態を辛いとは思っていないよ。むしろ感謝してる。君と同じ時を生きられるんだからね」 「………」 柔らかいテッドの髪の感触を楽しみながら、シオンはもたれている木を仰ぐ様にして見上げた。 「そりゃみんなが僕を置いてどんどん大人になっていってしまうのは寂しいよ。大人になったらもっと背が高くなって、腕も太くなって体力もついて、誰にも負けない棍使いになるはずなんだから。でもね、僕だけが成長して、テッドはいつまでも子供のままっていうんなら、僕は大人にならなくていい。僕にとっては大人になることより、テッドと一緒に生きることの方が何倍も重要だ」 「……………」 「君と一緒なら、永遠の命も怖くない」 テッドの体が震えているのに気付かないフリをして、髪を撫で続ける。青々と広がる枝の隙間からこぼれる木漏れ日が眩しくて、微かに目を細める。 「ああ、眠くなって来ちゃったな。昼寝しようとしてたのにテッドが悪戯するから…よし、このまま寝ちゃおう」 木の枝を枕に、テッドに背を向けるようにして横になる。背中にじんわりと伝わってくるテッドの熱。テッドが生きてここにいる証。 「シオン、手」 背中あわせに寝転がっているテッドが、腕をひねってぱたぱたとシオンの腕を叩いた。反対側を向いたまま思わずその手を取ると、ぎゅっと握られる。 「テッド……?」 「おやすみ、シオン」 握られた手のひらは熱く湿っている。 「うん……おやすみ」 なんだか泣きたい気持ちになってきて、強くその手を握り返す。今はテッドの方を向けない。こんな顔を見せられないし、テッドも見られたくないだろうから。 そのまま目を閉じる。手のひらと背中に伝わる暖かさが、優しい夢に誘ってくれた。 「………何やってるんだか」 夕方になって一足早く目が冷めたテッドが、照れくさいのを誤魔化すように呟いた。 いつのまにか向かい合って固く手を繋ぎあったまま眠っていた自分たちを、誰も見ていませんように、と願いつつ。 *和田みどりさんに捧ぐ* |