「……嫌だ」
断腸の思いで口にする。テッドの顔が泣きそうに歪んだ。
「お前…だけが…頼りなんだ…」
その顔に早くも撤回しそうになる自分を押さえつけ、必死に声を絞り出す。
テッドの為だ。テッドが生き延びる為には、紋章を外してはならないんだ。
「……君がどんなに願おうとも、僕は紋章を受け取るつもりはない。……テッドは知ってるのかい?真の紋章を宿した者は、強大な力と永遠の命を手に入れられる……だが一旦宿せばもう二度と、人の流れに戻ることは出来ない。外したが最後、苦痛の中での死が待っている。肉体はこの世に残る事を許されず、塵と化して消えていく…」
「お前…なんで……そんなこと……」
いつの間にかシオンは、十四歳のしゃべり方を忘れていた。
解放軍リーダーとしての、トランの英雄としての、今まで生きてきた年齢に相応しい口調でテッドに語りかける。
「僕はもう…そんな風に君を喪いたくない…だから……受け取る事はできない。例え同じ時間を生きられなくても、君に生きていて欲しいんだ。テッド!」
「…もう…?……シオン…お前一体……」
ドンドンドンドン
その時、激しく入り口のドアを叩く音が響いた。
「追っ手か!?」
「もう…来ちまったのか………ごめんな…俺のこと…そこまで想ってくれて…ありがとう……」
呻き声を洩らし、テッドが起き上がる。
ベッドの淵に手をかけて、よろけながら床に降りようとするのを見て、シオンが慌てて手を伸ばした。
「テッド、何をする気だっ」
「踏み込まれ…て…お前が見つかっ…たら…まずい……お前は…ここにいろ…」
「僕のことなんてどうでもいいっ。こんな状態で出て行くなんて無茶だっ。大丈夫、静かにしてればそのうち立ち去るよ。だから横になるんだ」
だがシオンの言葉とは裏腹に、ドアを叩く音はますます激しくなる。
やがてバキリという板の割れる音がして、室内に複数の足音が踏み込んで来た。玄関のドアをぶち破られたのだ。
「見ろ、暖炉に火が入ってる。やっぱりここに居るんだ。くまなく探せ!」
扉一枚隔てた向こうで兵士が叫ぶ。まさか無理矢理侵入してくるとは思わなかった。
「……テッド、こっちへっ」

バタンっ
寝室のドアが開かれ、眩しい光と共に仁王立ちした兵士の姿が現れた。
「見つけたぞ!………お前がテッドか!?」
兵士がシオンの素手の右手を掴み、捻りあげる。
「痛っ…」
「違う…紋章がない。おいっ、テッドという子供は何処に行った!隠し立てするとお前も逮捕するぞ」
「こっちこそ教えて欲しいよっ。僕はここでテッドの帰りを待っていたんだ。まだ城から戻ってこなくて心配していたら、いきなりドアが蹴破られて兵士が入って来るし…一体テッドが何だって言うんだ」
兵士はシオンを乱暴に突き放すと、
「ふん。奴はな、紋章を使ってウィンディ様に攻撃をしかけたんだ。幸いウィンディ様にお怪我はなかったが、奴は自分の紋章で怪我を負ったらしい。いいか、テッドというガキが戻ってきたら城に引き渡せ。その服装からすると、お前も軍人らしいな。軍人なら軍人らしく、ちゃんと皇帝陛下に尽くすんだぞ」
「…………」
「返事は!」
「判りました」
相手はシオンがテオの息子であることを知らないのだろう。知っていたらこんな横柄な態度はとらない。将軍の息子だからと特別扱いされるのも癪だが。
「どうやら奴はまだ家に戻っていないらしい。奴はテオ将軍の庇護下にあるそうだ。向こうに逃げ込んでいるかもしれない。マクドール家へ行くぞ」
「はっ」
上官らしき男の命令で、兵士たちが慌しく家を出て行く。踏み散らかされ、荒らされた家の中は、まるで泥棒にでも入られたようだ。
大きな穴の開いた玄関のドアを閉め、とりあえず風が入らないよう板を置く。兵士たちの足音が雨音に完全に取って代わられた頃、ようやくシオンは肩の力を抜いた。
「いいよ、もう出てきても」
ベッドに向かって声をかけると、もそりとベッドの下からテッドが現れる。
「……行ったか?」
「うん。ベッドの下を調べられたらどうしようかと思ったけど、大丈夫だったね」
「………助かったよ…サンキュ」
狭いところに無理な体勢で潜っていた所為で、テッドの呼吸が荒い。怪我が相当痛むようだ。
「さあ寝るんだ。少し休んで動けるようになったら、この国を出よう」
手を貸してベッドに横たえる。
所持金は僅かしかないが、案外何とでもなるものだ。生きぬく術は身についている。
何よりその道では大先輩のテッドが一緒なのだ。心配はなかった。
「…まさか…お前も付いて来る…つもりなのか…?」
「勿論。テッドが駄目だって言っても付いていくからね」
「駄目だ…グレミオさんたちが心配する……」
「グレミオは関係ないよ。僕の人生だ。自分の人生は自分で選ぶ。僕はテッドと一緒に行く」
「シオン……」
テッドが目を閉じる。考え込むように長い時間。そして。
再び開いた時、シオンの大好きなあの笑顔を浮かべてテッドが言った。
「ああ、一緒に行こう。親友」
「テッド……」
良かった。選択は間違っていなかったのだ。
このまま二人で国を出れば、テッドが死ぬ事はない。紋章はテッドの右手に宿ったまま、シオンの命が尽きるまで共に生きていける。
(僕はテッドを取り戻した)
「やっぱりな。隠し立てすると為にならんと行っただろう」
「誰だっ」
いつの間に戻って来たのか、先ほどの兵士たちがドアの向こうに立っていた。
雨音にかき消され、家を包囲されていることに気づかなかった。
「テッドを捕らえろ!」
先ほどシオンの手を掴んだ男が命令を下す。兵士たちが一斉に踏み込んでくる。
「やめろっ、テッドは渡さないっ」
「もういい……シオン…。さあ俺を連れて行け。その代わりシオンには手を出すな」
「テッド……っ」
「良いだろう。我々はお前を連れて来いとだけ命令されている。無益な暴力は好まんのでな。最もそっちが手を出すなら相手はするが」
「シオンっ」
棍を構えたシオンを厳しく窘める。その声にシオンはゆっくりと棍を持つ手を下ろした。
「よし。では来いテッド。お前は動くなよ」
兵士がシオンに命ずる。
「…ああ…」
シオンの手を借りて起き上がり、テッドが兵士の方へ歩きだす。
今のシオンの腕では、兵士たちからテッドを奪って逃げることはできない。悔しさにぎりりと歯をかみ締める。
扉の所で、テッドが振り返って微笑んだ。
「ありがとう……さよならシオン。元気でな…」
「テッド……」
彼らが出て行っても、シオンはその場に立ち尽くしていた。
落ち着け。方法はまだあるはずだ。まだテッドを助ける方法が。
考えろ。彼は紋章を外していない。あれを持っていれば死ぬことはない。後はどうやって彼を奪い返すか…

ドォンっ……

突然、腹に響く地響きが鳴り響いた。
「……テッド!」
音のもたらした強烈な不安感に追い立てられ、シオンが弾かれたように雨の中に飛び出した。そこで目にしたものは。
「……!……」
抉られた大地。
激しい爆発の跡。倒れる兵士たち。
「テッド!……」
抉れた地面の中心にテッドは居た。全身からだくだくと鮮血を溢れさせながら。
「……いっ…しょ……いけな…………て…ごめ……」
慌てて駆け寄って抱き起こす。テッドが言葉の合間にごぼりと大量の血を吐いた。
幾ら紋章の守りがあるとはいえ、弱った体でこんな無茶をしたら誰の目にも死は明らかだ。
再度の紋章の暴走。
テッドが死ぬ。
「っ…駄目だっ、テッド!死ぬな!」
消え行こうとする命を繋ぎとめようと、必死に叫ぶ。血が止まらない。雨に洗われた血が、赤い水溜りとなって二人の足元に広がっていく。
「……さよ……ら……シオ…ン…」
「…………テッドおおおおっ」
胸が痛くなるほどの優しい笑みを残して、テッドは逝った。
紋章はテッドの心音が止まると同時に、シオンの右手に宿っていた。


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