第一章 過ぎ去った過去を再び我が手に
(僕は夢を見ているのか?) 自分の部屋の前に佇み、呆然と辺りを見回す。 記憶の中そのままのマクドール家。廊下の突き当たりの窓からは暖かな日差しが差し込み、一階の台所からシチューを煮込むいい匂いが漂ってくる。 ついさっきまで、自分は城の書庫にいたはずだ。一瞬のうちにここまで運ばれたというのか。 「おや、今お起こししようと思って来たところですよ。ご自分で起きられたんですね。おはようございます。坊ちゃん」 「グレミオ…」 軽い足音と共に階段を上ってきたグレミオと顔を合わせる。 「テオ様はもう旅立たれましたよ。今日からは坊ちゃんも帝国の一員として頑張らなければいけません。さあ支度をして、グレイズ様の所へ行きましょう」 「あ、ああ」 父が旅立った、グレイズの所に行く…だとすれば、今日は魔術師の島へ行く日だ。シオンの帝国軍人としての初仕事。星見の結果を受け取りに行った日。 (本当に過去に戻っているのか…?) グレミオの後ろを歩きながら、必死に思考を巡らせる。 (……そんな訳ないか) 過去をやり直すなんて馬鹿げた話を、真剣に捉えていた自分に気づいて苦笑する。冷静になって考えれば、時間を戻す事など星辰剣のような真の紋章でもない限りできるはずがないのだ。 書庫で聞いた声も光も実は全て仕組まれた事で、実際は魔法使いの魔法か何かでマクドール家に運ばれたのだろう。グレミオもその仲間であるのなら、随分手の込んだ冗談である。 だが、あの声。 テオに良く似たあの声には、何か不思議な力を感じた。深い泉の底から、何百年もかけて浮かび上がってきたような、空気を共鳴させる音叉のように広がりのある声。 あの声の主の言葉がもし本当なら。 正否はすぐに判る。あの日魔術師の島に行ったメンバーを、今全員この場所に揃えることは不可能なのだから。 階下ではクレオとパーンがシオンを待っていた。血気に盛るパーンとそれを戒めるクレオ、あの日と同じ会話が繰り広げられている。 「さあ早くお城へ行きましょうや」 急かすパーンに頷き、彼らの後に続いて玄関に向かった。 玄関のすぐ隣の部屋の前で立ち止まる。ここに彼が寝ているはずだ。 「坊ちゃん?」 「……いや、なんでもない」 小さな笑みを返し、扉を潜った。 ほらやっぱり彼は現れない。あの時はこの時点で、テッドが慌てて飛び出して来たのだ。死んだ人間が現れる筈がない、判っていたのに。 時間をやり直せるなんて御伽噺を、信じてしまいそうになっていた自分が可笑しかった。もうこんな茶番劇は終わりにしようと、首謀者の一員であろう部下たちに声をかけようとして。 ――聞こえてきた足音に息が止まった。 「おーい、待ってくれよシオン。ひどいな、俺を置いていく気かい?」 「……っ…」 反射的に振り返る。 「ん?どうした、そんな幽霊でも見たような顔して」 「………テッド……」 そこにいたのは、紛れもなくテッドだった。 誰かの変装などではない。この声、この姿、何年経とうとも忘れっこない、大切なたった一人の親友だ。 「シオン?」 呆けたままのシオンの顔を、テッドが不思議そうに覗き込んでくる。そっと手を伸ばして腕に触れてみる。温かい。頬に触れてみる。柔らかい。 「何だよ、くすぐったいって……わっ」 いきなり抱きしめられ、テッドが慌てた声を上げた。腕の中で確かに存在する体、髪から立ち上るテッドのにおい。 テッドだ。 間違いなく、他の何者でもない。 喪った筈のテッドだ。 「おいおい、どうしたんだよ。おかしいぞ今日のお前。ほら、皆が待ってるぜ。今日はお前の記念すべき初任務の日だろ?」 「ああ…」 ようやくテッドから離れ、もう一度まっすぐテッドを見る。明るい栗色の髪、優しいアースブラウンの瞳。人の心を和ませる明るい笑顔。 「さ、行こうぜ」 テッドに手を引かれ、グレミオたちの後を追う。まだ信じられない。テッドがいる。生きてここにいる。 望むものを与えよう。 あれは夢ではなかった。シオンは確かに、失われたかつての時間の中にいる。 取り戻すも再び失うも、汝の裁量次第。 取り戻す。歴史を変えてやる。テッドのいない現在など消し去ってやる。 繋いだ手を握り返し、シオンは強く心に誓った。 この温もりを取り戻すためなら、僕は何でもしよう。 第二章 魔術師は知っている 魔術師の所へ星見の結果を受け取りに行くよう命ぜられ、慇懃な礼を取ってグレイズの元を辞する。 軍服のお陰で当時はそれなりに見えたこの男も、改めて見ると唯の小者に過ぎなかった。 解放戦争、統一戦争と本物の武人たちと剣を交えてきた身には、グレイズの卑劣で愚鈍な部分がひどく目に付く。こんな男が軍の上部にいる時点で、当時帝国軍がいかに内部から腐りきっていたかが伺えてしまって、やりきれない気分になった。 城の脇にある砂地に向かうと、一匹の巨大な竜と小さな竜騎士見習いが待っていた。 ブラックとまだ幼いフッチだ。今ではすっかり背も伸び、ハンフリーの元で過ごしたお陰で、礼儀をわきまえた立派な青年となっているが、当時の彼は向こう見ずで鼻っ柱の強い子供だった。 「なんだ、竜騎士っていうから期待したのに、ガキじゃないか」 そうだ。この時先に挑発したのはテッドだったのだ。負けん気の強いフッチにこの言葉はいただけない。 「何だって!そういうお前だってガキじゃないか」 「何だと!この俺がガキだって!!こう見えても俺は三百年…」 テッドの口癖だった「三百年」。当時から信じてはいなかったが、こうして小さな子と本気で喧嘩をしているテッドの姿を見ると、彼の過去を知った今でも、とても三百年も生きてきた人物とは思えない。 「はいはい、喧嘩はそれ位にして早いところ出発しましょう」 グレミオの仲裁で、テッドがしぶしぶ身を引いた。全員ブラックの背に乗り込む。 シオンはこれから先のブラックの運命を知っている。 フッチに一言庭園には行くなと告げれば、ブラックは死なない。だが竜の肝がなければ薬は作れず、竜たちは目覚めず、竜洞の助けを得られない解放軍は、空しく歴史に消えていく。 選択を過てば、汝の命もない。 運命は慎重に選ばなくてはならない。自分の目的はテッドを死なせないこと。余計な選択をして、運命を大きく変えるような危険を冒す訳にはいかない。 (すまない、ブラック、フッチ…) 運命を知っていて尚且つ何もできない、してはならない人間の苦悩は、未来を知ることのできない人間よりも遥かに大きい。 竜の背に乗り大空を羽ばたきながらも、シオンの心は晴れない。 星見の結果を受け取る為に、シオンは皆を残し一人レックナートの待つ広間へと入っていった。 美しいステンドグラスと水晶を背に、レックナートが中央に立っている。 「ここに『星見の結果』があります。どうぞお持ちください………シオン」 名乗っていない筈の名前を呼ばれ、受け取ろうとして伸ばした手が止まる。 前回、彼女はシオンに名を尋ねてきた。星見であろうとも、使者の名前は知りえなかった。 星の流れを見て未来を読み取るのが星見の魔術師。だが自分に判るのは大きな流れだけで、未来そのものは知りえないのだと、言ったのは他でもない彼女だ。 だがその彼女が今、シオンの名を呼んだ。 「レックナート様……あなたは未来を知って…?」 レックナートはフードを被った頭を緩く振った。 「私には未来は判りません。ですが体験した過去なら知っています。シオン…あなたの星の動きの渦に、私もまた飲み込まれました。私にとっても、あなたとのこの対面は二度目なのです」 「じゃあ、他にも誰か…?」 「いいえ、恐らく私だけでしょう。私はバランスの執行者。新たな歴史を見守る為に、星が私を呼んだのです。……シオン」 顔を上げ、盲いた目でシオンと正面から向かう。 「運命を知るが故の悲しみと苦悩があなたを襲うでしょう。運命は再びあなたに、深い絶望と辛い宿命を背負わせるでしょう。その中であなたは正しい道を選ばなくてはなりません。あなたの運命は常にあなたの手中にあることを忘れずに…」 「……はい」 力強い頷きを返し、シオンは星見の結果を受け取って身を翻した。 途中まで進んだ所で、魔術師を振り返る。 「レックナート様、あなたは本当は……」 彼女は微笑を浮かべたまま、何も答えない。 次頁 |