なあ、シオン。俺が死神だったらどうする?お前も、お前の大事な人も、みんな喰っちまう死神だったら。
『テッドが死神?似合わないなあ。……でもそうだね、もしテッドが本当に死神でも、僕はテッドが好きだよ。君が僕の命を欲しいっていうんなら、あげてもいいや』 冗談めかした問いに返ってきた、この上なく優しい言葉。 無邪気に笑うシオンに微笑み返しながら、内心嬉しくて泣きそうになる。 俺は本当に死神なんだよ。今までもたくさんの優しい人たちの命を、コイツに喰らわせて来た死神。なのに。 どうしてお前はそんなに優しいんだ。 紋章を受け継いだ時、俺はまだ六つの子供だった。 目の前で家族と故郷を失い、自分を助けてくれた人とも別れ、たった一人残されてしまった不安感に押しつぶされそうになりながらも、とにかく前に進んだ。 ショックで呆けている間もなく訴えて来る空腹感が、俺の足を動かした。 死にたくなかった。 自分が生きるためには、人から盗むことを躊躇っている余裕はない。今一個のパンがなければ俺は死ぬ。ギリギリの環境下で、奇麗事を言ってたら生きて行けなかった。 そんな俺に、温かい手が差し伸べられたのは、村を出てから半年ほど経った頃だった。 食べ物が手に入らず行き倒れそうになっていた俺を、自分の家まで連れ帰り、温かい食事とベッドを与えてくれた老夫婦。 餓えてキリキリと痛む胃に、夢中になって食べ物を詰め込む俺を優しく見守り、俺が出されたものを全て平らげようやく人心地つくと、二人は待っていたように次々と質問をしてきた。 名前は?家族は?どこから来たの? 久しぶりにする他人との会話に、俺は必死になって答えた。 テッド、みんな死んじゃった、向こうの方からと、幼い上にうまく答えようと焦っていた俺の言葉は判りにくかっただろうに、二人は急かす事なくじっくりと俺の言葉に耳を傾けてくれた。 拙い説明が終わると、老夫婦が互いに顔を見合わせ頷き合う。きょとんとしている俺に、あなたが嫌じゃなければだけど、と前置きして、 ――私たちの子供になってくれないか 自分たちには子供がいない。親のない子供がいたら引き取って育てたいと思っていた所だ。君のような子が、一緒に暮らしてくれたら嬉しいのだけれど。 どうだろう、と顔を覗き込まれ、俺は一も二もなく頷いた。食べるものや寝る場所の心配をしないでいいというのもあったが、この僅かな時間で俺は二人が大好きになっていたのだ。 彼らと過ごした楽しい日々は忘れない。あの思い出が、その後の俺の生きる支えになった。 幸せは長く続きはしなかった。 二人と一緒に住むようになって一年が過ぎた頃、婦人が病に倒れた。 懸命な介護の甲斐なく彼女は数日後に他界した。倒れてから死まであっという間の出来事だった。 そしてその半年後、主人も病の床に就いた。医者に見せても原因不明で、日に日に衰弱していく彼を、俺は必死になって看病した。 彼が天に召された夜、彼はやせ細った手でそっと俺の頬を撫でた。消え入りそうな弱々しい声で呟き。 ――テッドは大きくならないな…… それが彼の最期の言葉になった。 自分の体が成長しないことに、俺もうすうす感じ始めていた。そして二人が亡くなったそれぞれの夜、「おにいちゃん」に誰にも見せてはいけないと言われた手袋の下の紋章が、熱く熱を持ったことも。 彼を埋葬し、町を後にしてまた前のような浮浪児生活を始める。十歳になっても体は全く成長の兆しを見せなかった。 ある時、ガラの悪い連中が集まる酒場にいた魔法使いが、ふとした弾みで俺の右手を見たらしく、幼い俺を巧みに騙してコイツを奪い去った。 じいちゃんに託された大事な紋章を奪われ、必死になって後を追ったが、とうとう奴を見つけることは出来なかった。 だがその後、俺の体は成長を始め――ふとしたことから、俺はようやく自分が成長しなかった理由を知ることとなった。 『二十七の真の紋章を宿す者は年を取らないのは知ってるだろ』 宿屋の下働きで小遣い稼ぎをしていた時のこと。旅人たちが旅の情報交換をしている中で、耳に飛び込んできた言葉。 話題を振った男は若い情報屋で、その場は急遽男の独壇場となった。 俺は皿を片付ける手は止めないまま、じっと男の話に耳をそばだてた。 『ってな訳で、今世間にその所在が知られているのは、ハルモニアの円の紋章と、竜騎士団長の持つ竜の紋章と、ファレナ女王国の太陽の紋章位だが――真の紋章持ちは大抵己の存在を隠してるからな――最近どっかの国で戦が起こると、短期間にどちらかが圧勝して勝敗がつくそうだ。しかも決まって昨日までは負けそうだった側の勝利でな。勝った側の兵士は無傷、負けた側の遺体は紋章にやられたらしいのは判るが、今まで見たこともない傷とくりゃあ何かひっかからないか?』 『未だ知られていない真の紋章を使って、戦争に介入している奴がいるってことかい?』 『俺はそう踏んでるね。ところが勝った側の兵士に聞いても、奴ら絶対に口を割らねぇ。ズルしたのはバレバレだし、何よりみんな脅えたように黙りこくっちまうんだ。宥めすかして聞き出すのは大変だったぜ。死神ってのが目撃した奴の共通意見だな。闇が敵を覆ったかと思うと、それが晴れた時には向こうは全滅してたって話だ。こいつは「ソウルイーター」って呼ばれているらしい。魂喰い……まさにその名の通りだ。勿論俺はその紋章使いが今どこにいるかも押さえてる。戦を起こそうと思ってるお偉いさんは必聴だぜ。この先を聞きたい奴は御代を払った払った』 金の話になった途端、今まで興味深げに聞き入っていた連中が、蜘蛛の子を散らすように立ち上がる。 誰もいなくなると、『ちっ、何でぇ。シケてやんの』と再び安酒をあおり始めた男の傍にこっそり近づき、尋ねた。 『……そいつはどこにいるって?』 『ああん?お前みたいなガキが興味あるってか。金持ってなきゃお断りだぜ。これも商売のうちなんでね』 『俺はそいつを追ってるんだ。金なら何としても用意するから教えてくれよ。お願いだ!』 俺の必死の形相に、男は何かを感じたようだった。しばらく考え込み、 『……真の紋章使いを追うたあ、難儀な奴だな。まあ、お前に言ったからって俺に損はねえし……その代わり絶対他の奴には言うなよ?』 『ああっ、ありがとう!』 情報屋の話に出てきた男が、俺から紋章を奪った奴であることはすぐに想像ついた。 昔、じいちゃんが紋章を使う所を見ていたし、ソウルイーターが村の宝の名である事は知っていた。 同時に自分を愛してくれた老夫婦の命を奪ったものがなんであるかに気付き、怒りで体が震えた。 あれに彼らの魂は喰われたのだ。 ソウルイーターの所為で俺はじいちゃんと村を失い、新たに得た家族も失った。 紋章を野放しにしておくわけにはいかない。何としてもこの手に取り戻さなければ。あれは俺がじいちゃんに託されたものなのだから。 情報屋の情報を元に、俺はとうとう奴の居場所を突き止めた。 あちこちの国で戦争の助っ人をして金を稼いだ末、紋章に身も心も喰い尽くされ、道端で死を待つばかりの状態だった男は、俺の顔を見ても誰だが判らないようだった。まあ俺も成長してた訳だから当然だが。 必死に助けを求めてくる男を蔑みつつ、俺は紋章を取り返した。 『隠された紋章の村』の住民は、意味は判らずとも紋章を支配する為の呪文を幼い頃から叩き込まれている。いつ何時敵が紋章を奪いに来ても、村人の誰かがそれを持ち出して護れるようにだ。 あの頃はただ暗記しただけだったが、今ならその意味も使い方も理解できる。 「――っ……」 コイツが再び俺の右手に宿ると同時に、男は息絶えた。男から離れる際、ソウルイーターが灯火の全てを奪い去ったのだ。 薄汚れ、やせ細った惨めな死体を空虚な心で見下ろす。 馬鹿な奴だ。こんなもの持ってたって、不幸になるだけなのに。 再び俺の時は止まった。体は十四歳になっていた。 ソウルイーターは持ち主に近しい者の魂を好む。その事に気付いてからは、出来るだけ他人に深入りしないよう心がけた。 それでも親しくなった人たちを何度かコイツの餌食にし、その度に心が引き裂かれた。 80歳に手が届く頃には、人と関わりあいを持てなくなっていた。これ以上誰かを失うのが怖かったのだ。 初めて俺がソウルイーターの中――防人のいる空間に来たのはこの頃だった。 防人は宿主に関わりのある人物で、魂の存在力が強い奴でなくてはならない。 俺の身近にはそういう人物がいなかったようで(防人になれるような強い奴がそうそういるわけも無いが。ここでの強さとは、魂の力を指す)本来四人いるべき俺の防人はじいちゃんただ一人だった。 再会した時、じいちゃんは俺を強く抱きしめ声を震わせて言った。 『紋章を継がせてすまなかった』と。 謝られると、却って俺の方が申し訳ない気分になった。 じいちゃんのせいじゃない。紋章を守るのは、あの村に生まれたものなら当然のことだ。それどころか俺が不甲斐ないばっかりに、紋章の好き勝手にさせてしまった。謝らなきゃいけないのは俺の方だ。 ここに来れるようになってからは、記憶は無くてもじいちゃんという心の支えが出来た所為か、精神が落ち着いた。 だが、ある事件をきっかけに俺の心は脆くも崩れ、紋章は再び俺の手を離れる事となる。 何処からか呼ぶ声に導かれ、たどり着いた霧の船で、現実からの逃亡と引き換えに、俺の意思で導者に紋章を渡したのだ。 ただ宿しているだけだった幼い頃と違い、俺は紋章の力を手にしてしまっていた。 真の紋章を一度でも使えば、紋章なしでは生きられなくなる。 時の干渉を受けない霧の船の中でなら、紋章がなくとも存在できる。澱んだ泉のような船の中、酸欠でじわりじわりと死にかけていた俺を、再び世界に引っ張り出してくれた奴がいた。 同じように真の紋章に魅入られた男、アス。 そして俺の全てを許容してくれた、アルド。 彼らは、俺に前を向いて歩いていく強さをくれた。 アルドの魂は後に紋章に喰われたが、奴をこの場所で見る事はなかった。 存在力が弱かったとは思えないが、アルドが防人に選ばれなくてほっとした。こんな寂しい場所にずっと留められるより、全てを忘れて生まれ変わってくれる方がいい。 彼らのお陰で、他人と距離を取っても、以前のように完全に拒否する事はなくなった。つかず離れずで、飄々と世の中を生きてきた。 シオンと再会するまでは。 真の紋章は宿主を選ぶ。三百年前、どういう力が働いたのか過去に現れたシオンを、紋章は主と定めた。そして己をシオンに渡す為の運び手として俺を選んだ。全ては紋章の手のひらの上で弄ばれていた。 だが俺は、お前に少しだけ感謝してるよ、ソウルイーター。 お前がいなければ、俺はシオンに再び会うことは無かった。 三百年前、幼い俺を抱きしめてくれた優しい腕は、シオンのものだった。コイツに喰われて初めて知った、シオンとの不思議な繋がり。 俺の命の恩人である『あの人』にもう一度会えた、それだけで生きてきた意味はあった。 だからもうあいつを解放してくれないか。あんな風に傷ついてるシオンは見たくない。 干からびて何も感じなくなっていた俺の心を、癒してくれたのはシオンだから。 あいつに会って思い出した、心の底から笑うということ。 楽しかった。生きていることが嬉しいと思った。それなのに。 俺が背負わせた。重い運命。 あいつの顔から笑顔が消えていくのを、ただ見ていることしか出来ない俺。 傍に行って支えてやることも出来ない。助けを求めるように呟かれる俺の名。 ごめんごめんごめんと、何度謝っても謝り足りない。 お前だけは笑ってて欲しかったのに。 そんな風に無表情で泣く事など、覚えて欲しくなかったのに。 ―――え? 閉じられていた空間が開いた感覚に、目を見開いた。 防人のいるこの場所が外部と繋がるのは、魂がここに来るときだけだ。 コイツが新たに魂を喰ったんだろうか?いや、それにしては何かが違う。取り込まれた魂の嘆きの声が聞こえない。 それにこの気配は、よく知った………… シオン!? あいつがここに来たのか?まさかこんなに早く!? 同じように異変を感じたオデッサが、驚きに立ち尽くす俺の背後に現れる。 「驚いたわね……。もうソウルイーターを制御したなんて。さすが私の見込んだリーダーね」 「オデッサ……」 「何してるの?早く行きましょう。シオンに会いたいでしょう」 オデッサに手を引かれ、半ば呆然としながらシオンのいる方向に意識を向ける。 ああ、やっぱりシオンだ。忘れっこない、大事な親友の気配。 「――!いけないわ。あの子、ソウルイーターの罠にかかってる。早く行って止めなくちゃ」 「……ああ、そうだな。行こう」 気を取り直し、一刻を争う事態に一気に空間を飛ぶ。 だが彼女がシオンの前に姿を現しても、俺は闇に気配を潜ませたままだった。 動けなかった。 誰よりも会いたかった奴なのに。 実際に目の前で、闇に身を委ねようとしているシオンの疲れた表情を見たら。 動くことなど出来なかった。 俺ガアイツカラ大事ナモノヲ奪ッタンダ――― ――→「闇の中の腕」へ 同人誌の書き下ろし部分の再録です。 4が出る前に書いたので、辻褄合わせてアップ。 霧の船に乗るきっかけになった事件は「本当の強さ」参照 |