昔話




ラズリルに住むスノウの元を、懐かしい客が訪れた。
4年の月日を感じさせない、あの頃のままの少年の姿に、スノウは自分の記憶違いと相手の童顔の両方を疑ったが、そのどちらもが否定された。
向かい合ってお茶を飲む少年の右手には、不気味な形をした見慣れない紋章の姿がある。
俺もあいつと同類だったんだと、スノウが初めて見る素直な笑顔でテッドが言った。
「…まさかテッドも真の紋章を宿していたなんて驚いたよ」
溜息を洩らし、まじまじと右手を見つめてくるスノウの視線を気にした風もなく、テッドは穏やかに湯気の立ち上るお茶を口に運ぶ。
「罰の紋章に勝るとも劣らない胸クソの悪い紋章だからな。ソウルイーターって通称を聞けば、大よその性質が判るだろ」
「魂を食べる者か…確かに物騒な紋章のようだね」
「物騒な上に性質も悪い。何せコイツは宿主の近しい人物の魂が好物と来てる。俺が誰かに好意を抱こうものなら、その相手はほぼ間違いなく紋章の胃の中だ。船にいた間は大変だったんだぜ。海の上で逃げ場がない所に持って来て、長期に渡る団体生活だろ。しかも乗員は皆馬鹿がつくほどのお人よしばかりだ。ほっとけって言うのに誰も彼もが構ってきて…紋章を抑えるのに俺がどれだけ苦労したと思ってるんだ」
言葉とは裏腹に、テッドの表情は優しい。瞳に浮かぶのは、過ぎ去った過去に心を寄せる懐かしさだ。思い出すのはしかめ面ばかりというテッドが、こんな風に笑う顔をあの頃の仲間の誰が想像できただろうか。
「じゃあ、いつも君が一人でいたのは、紋章から皆を守るためだったのかい?」
「紋章の好き勝手にさせたくなかっただけだ」
素直にそうだと言えない所は、以前のままか。
だが確実に、テッドは変わった。
寄せられる厚意を全身で拒否して、あれだけの事をしでかしたスノウをも受け入れてくれた人々の優しい風の中、一人凪に佇んでいた彼。
船を降りた後の4年間で、何がテッドの心を変えたのだろう。
過去の記憶、いつもテッドの傍にいた長身の青年の事を思い出した。
穏やかな、だが凛とした強さを持つ優しい青年だった。
アスの手をとった後、漂流の疲労から甲板で意識を失ってしまったスノウが、再び医務室で目を覚ました時、傍に付いていてくれたのがアルドだった。
――気分はどう?アスさんに看病を頼まれたんだ。
彼はスノウが一人で動けるようになるまで、献身的に世話をしてくれた。スノウが暫くアルドを看護士と勘違いしていたのも無理からぬ話だった。
テッドとアルドとは、エルイール要塞突入前に言葉を交したのが最後だ。紋章砲の事は僕達に任せて、スノウくんたちも頑張ってと笑顔で手を振ってくれた。
アルドは戦いの後、どうしたのだろう。テッドと一緒に行ったのではと思っていたが、今こうしてテッドが一人でいる所を見ると、追いつけなかったか、途中で別れたか――それは少し寂しい想像だった。
テッドに寄り添うアルドの姿に、懐かしいものを感じていたから。
二人の姿に、遠い過去を重ねていた。振り返れば胸に痛い思い出だが、その愚かさがまたいとおしい。
「――ところで、今日はどういう用件で?何か僕に用があったから、訪ねて来てくれたんだろう?」
感傷を飲み込み、スノウは本題を切り出した。
アルドの事を訊ねる気にはなれなかった。知らない方がいい事は、世の中には多い。
「ああ、いくつか訊きたい事があってな。一つはアスの行方。奴はどこにいる?」
「残念、行き違いだったね。アスならつい昨日ラズリルを発ったばかりだよ。今頃は無人島に向かう定期船の上だ。チープーがあの島で道具屋を開いてるんだ」
「人が住んでるんなら、もう無人島とは言わないと思うが」
「ああ。だから今はアス島って呼ばれているよ。群島の英雄の名前を取ってね」
「そんな名前を付ける位なら、無人島の方がよっぽどマシだな。その定期船っていうのは次はいつ出るんだ?」
「無人島経由のオベル行きの船は一日おきに出ているから、急ぐなら明日の便で追いかけるといいよ。どうせアスはまた
月末にはこっちに来るから、ラズリルに滞在して待っていてもいいし」
「奴はそんなにしょっちゅう行き来してるのか?」
「一年の三分の一はラズリルだね」
「面倒なことしてやがるな…まあ妥当なやり方ではあるか」
テッドがチラっと右手の紋章を見た。
――そうか。アスがラズリルに定住することを避けるのは、群島の英雄の称号が煩わしいのや、外見が変わらない事だけじゃなくて。
宿主の命を削らなくなっても、アスが事故などで命を落とせば罰の紋章はまた他人に宿るかもしれない。アスの手を離れた紋章は、再び宿主の命を狩り出すかもしれない。
呪いから解放はされても、アスは今だ紋章に囚われている。
スノウはギリ…っと奥歯を噛んだ。無意識だった。
「どの道群島にも行くつもりだったから、明日の定期船に乗る。アスの野郎、人を馬鹿にしやがって。直に文句を言ってやらなきゃ気がすまない」
「アスは君に何をしたんだい…?」
テッドの苛立ちっぷりに伺うように尋ねると、テッドは憮然として顔で、「騙された」とだけ呟いた。
それ以上は語るつもりが無いのが判ったので、スノウも重ねて追求はしなかった。
「それともう一つ。お前、海上騎士団に居たんだよな。庵の小島の近くに、海図に載っていない小さな島がある筈なんだが知らないか?」
「あの海域はそんな島だらけだよ。完全自給自足を行っている島が多いんだ。交易も外交もしないから、情報も殆ど入ってこない。キカさんたちなら少しは知っているかもしれないよ」
「海賊達の顔はもう見たくないな」
げんなりとした様子で、テッドが肩を竦めた。
「ミドルポートのギルドに頼めば調べてくれると思うよ。僕も一時あそこでアルバイトをしてたんだ」
そうしてスノウは、キリルという少年と共に戦った日々をテッドに語って聞かせた。
二年ぶりのアスとの再会、紋章砲のこと、クールーク皇国のこと…群島を離れていたテッドにとって、それらはどれも興味深い話だった。
やがて空が茜色に染まる頃、テッドは礼を言ってスノウの家を後にした。
泊まっていけばと薦めたが、断られた。必要以上に馴れ合うつもりはないというオーラは健在だった。
テッドが持っていたのが、彼が使うには大きめの鉄の弓だった事にスノウが気付いた時には、テッドの姿は地平線の向こうに消えていた。




海鳴りの汽笛を聞きながら、青い海面に向かって手を伸ばす。
ぽちゃん
テッドの手の中にあった小さな光が、深い水底へと沈んで行った。
ゆらゆらと、まるで歌うように。
微笑みかけているかのように。
消え行く輝きを同じく微笑みで見送って、残った片方をぎゅっと握り締める。
ここでテッドは、時の止まった霧の船から再びこの世に生れ落ちた。
彼らと出会った場所。
ここに彼の形代と共に、愚かにも必死だったあの頃の想いも置いて行くから。
青い海の底で、また寄り添っていて欲しい。

もう片方は、これからテッドの手で彼の生まれ故郷へと還される。
テッドの想いに包まれて、小さなヒスイのピアスは静かに眠りにつく――






up the windのその後です。
ピアスを海に還すはタイタニックが元なんですが、同じ事を考えたアルテッダーさんが他にもいらしてびっくり。別のアルテッダーと「やっぱ鉄の弓は形見で、ピアスは海に還すなんだね!」と頷きあいました(笑)
アルドとテッド、4主とスノウの二組は、互いの関係を色々な場面で重ねて見てると思います。相方という点に関しては、スノウとテッドは分かり合える立場。天然に慕われるのは嬉しいけど、大変だよね(笑)



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