周囲に誰も居ないことを何度も確認して、扉の前で軽く息を吸い込む。
こんな所をうろついてるのを、他人に見られる訳にはいかないのだ。うっかりオークシンパの奴にみつかろうものなら、光速で奴の元に報告が行くに違いない。
人が少なくなる食事時を狙って来たものの、中々扉をノックする気になれなかった。早くしなければ、見咎められる可能性も高くなるのに。 
「ったく何で俺が」の呟きを飲み込んで、目の前のドアを数回軽く叩いた。返事はない。
「いないのか?」
いなかったら返事が来る訳がないのだが、何となく訊いてしまう。
ドアノブに手をかけると、抵抗もなくくるりと回った。大部屋には基本的に鍵はかかっていない。
音を立てないよう静かに扉を開けると、目指す相手は二段ベッドの下段に座っていた。
「お前一人か?」
奴もここにいるのか――部屋を訪れた本来の理由は、口には出さなかった。
見えないものは信じられない。
長年生きてきたが、精霊なんてものは今まで見たことも聞いたこともない。
アルドはきょとんとした表情で、俺を見上げている。普段見上げるばかりの顔を見下ろすなんて、何だか変な感じだ。
「――どうかしたのか?」
お喋りなアルドがずっと無言のままである事を訝しむ。俺がこの部屋に来ることは滅多にないが、その少ない来訪の時は、いつも満面の笑顔で出迎えるのに
アルドは無言で俺をみつめている。
と。
「……おいっ、アルド!」
長い両腕が伸び、俺の首に回された。首筋に顔を埋めるようにして抱きつかれる。
慌てて肩を掴んで引き剥がそうとするが、何故か手に力が入らなかった。
「離せっ。おい、何やってんだよ。アルドってば!」
アルドはまるで子犬みたいに、くんくんと俺の首の匂いを嗅いでいる。
そしてこれだけ顔を密着させていれば、当然それはお互い様で。
(あ……なんかいい匂いかも)
森の中にいるような、爽やかな香り。アルドが香水をつけるタイプとは思えないので、これは彼の体臭なのだろう。
「っ……」
寛げられた首筋に、柔らかいものが触れた。一気に体温が上昇する。
「お前一体どうし……」
見上げてくる瞳は、いつにも増して純粋無垢で。
「………」
自分の意思とは関係なしに、手が頬に伸びた。薄い唇にゆっくりと顔を近づけて行き――
「あれ?」
突然、前触れもなくドアが開いた。
「!!」
全ての動作が一瞬にして固まる。
俺は今何をしようとしていた!?
血の気の引い首を、サビ付いた機械のようなぎこちない動作で声の主へと向ける。
「テッド君、来てたんだ」
………
………
………これは何の悪夢デスカ…
そこには、ぱああっと花咲く効果音を背景に、嬉しそうな笑顔を浮かべているアルドが立っていた。
そして相変わらず俺にしがみついている奴も――アルドだ。
「アルドが二人!?」
すっとんきょうな叫びを上げた後で、つい最近似たような事があったばかりなのを思い出す。改めて二人のアルドを見比べると、どちらが本物かは一目瞭然だった。
「あ、君はさっきの精霊だね。今度は僕の姿になってるんだ。急に飛び出して行って姿が見えなくなっちゃったから、探したよ」
「そんな平然と……」
状況が理解できているとはいえ、自分にそっくりな人間が目の前にいる態度じゃないだろうお前!
どうしてそんなに緊張感がない!ここは驚くとかびっくりするとか焦るとか、とにかくもっと慌てて見せろ!
――とは口に出しはしなかった。
オーク相手ならともかく、天然にツッコんでも無駄だ。
「そういえば、今はテッド君にも彼が見えるの?さっきはテッド君の姿だったから駄目だったのかな。嬉しいな。これで僕とポーラさんとテッド君、船の中に三人も君が見える人がいるよ。もう寂しくないよね」
アルドは俺たちの横に屈みこむと、自分そっくりな精霊に向かってにっこり笑った。
その瞬間、俺は先ほど自分が何をしようとしていたのかを思い出し、慌てて精霊を押しやった。
危なかった……後少しこいつが来るのが遅れていたら、どうなっていたか。
男の本能って悲しいなと、ひっそりため息をつく俺の鼻を、さっきと同じ緑の匂いがくすぐった。
匂いの元は本物のアルドだ。
匂いまで再現したのかと変な所で感心し、倍に増えた甘い匂いから逃れる為に立ち上がる。このままじゃヤバイ事になる。
アルドの姿をした精霊は、アルドと目を合わせて軽く首を傾げ、それから――なんと宙に浮き上がったのだ!
「飛んでる!?」
「精霊は空が飛べるらしいよ。ねえねえ、降りておいでよ。一緒にお話しよう」
自分と同じ姿のものに、当たり前のように手を差し伸べるアルド。傍から見ている俺の方がおかしくなりそうだ。
精霊はじっとアルドを見つめた後、身を翻して天井をすり抜けた。
「あ、待って!」
慌ててアルドが部屋を飛び出し、階段に向かう。
俺もその後を追った。精霊の姿が見えるようになった以上、放ってはおけない。
「俺はサロンに向かう。お前は施設街に行け」
「うんっ」
障害物を物ともしない精霊相手は、手分けした方が効率がいい。アルドの部屋の真上にあたる場所を目指して、二手に分かれる。幽霊騒ぎでも起きてくれれば居場所が判りやすいんだが、生憎精霊が見えるのは俺たちとポーラだけだ。
サロンを見渡して精霊がいないことを確かめると、俺は足を止めずに甲板への階段を駆け上がった。
日差しの強い午後のこの時間帯は、甲板に出ている者は少ない。広い木の板の上に佇む緑の服を見つけて走り寄る。
「おいっ、お前!」
また逃げられないよう、声をかけるより先に服の裾を掴む。
周りにいた奴らが何事かと振り返った。だが奴らの目には俺しか見えない訳で……ああくそ折角篭ってたのに目立たせやがって!
「今度は逃げるなよ」
向けられているであろう奇異の視線を意識から追い出して、精霊を見据える。俺の剣幕に、アルドの姿をした精霊は怯えた表情を浮かべていた。
ズキン
「何だよ、その顔……」
精霊に、記憶の中の顔がいくつも重なる。
そんな顔するなよ。
アルドの顔して、そんな目で見るな。
ぐるぐると視界が回る。光が黒で塗りつぶされる。
喉が渇く。冷たい汗が流れる。
お前だけは、俺をそんな目で見ないでくれ!!
「テッド君!」
背後で上がった声に、すぅっと体の緊張が解けていくのが判った。続いて暑さが戻ってくる。
アルドは俺の隣に駆け寄ると、精霊の手を優しく包んだ。
「大丈夫。怖くないよ。僕たちは君に何もしない。ね、だから逃げないで」
アルドの言葉が届いたのか、精霊の顔から怯えが消えた。
その言葉は、俺の心の緊張をも解していく。
「そう。大丈夫だから…ここは目立つから、部屋に戻ろう。テッド君の部屋を使わせて貰ってもいい?」
「……ああ」
後半は俺に向かって、アルドが言った。アルドの部屋では、いつ同室の奴が戻って来るか判らない。俺も異存はなかった。
アルドがアルドの手を引くという何とも異様な光景を前にしつつ、俺たちは船内へと戻った。
だがその途中で、突然精霊がアルドの手を振り払い駆け出した。
「あ、君っ」
精霊は階段を下りきった所で右折し、すぐ近くの部屋に飛び込んだ。
第一甲板のこの場所は。
「どうしよう…オークさんの部屋に入っちゃった」
「あいつにはどうせ精霊の姿は見えてねぇんだ。適当なこと言って中に入って連れ戻そう」
「そうだね。すみません、オークさん。ちょっといいですか」
アルドがドアをノックし、室内に声をかけるが返事はない。
「留守かな」
「鍵が開いてるんなら、いない方が都合がいいんだけどな」
試しにドアノブを回してみる。
「ラッキー。開いてるぜ」
人の部屋に勝手に入るなんてと戸惑うアルドを押しのけて中に入ると、机に向かうオークがいた。
「何だよ、いるんなら返事しろって……ん?」
オークはペンを握ったままの状態からぴくりとも動かない。ディーププルーの視線は部屋の一箇所に注がれている。
そこには、淡い金髪の青年が立っていた。
「誰だお前」
見たことのない顔だ。お前は?と、後から入ってきたアルドに視線で確認すると、奴も首を振った。
青年はどこか怯えた様子で、不安げに瞳を揺らしている。本物の人間か精霊が変化した姿かは、まだ判断がつかない。
「…………ウ」
「え?」
ガタンっと重い音を響かせ、オークが椅子から立ち上がる。そのままふらふらと青年へ近づいて行き。
「スノウ……っ」
縋るように青年にしがみついた。
「スノウ……スノウっ!どうして君がここに?ううん、そんなのはどうでもいい。無事でよかった……!」
オークの声は熱く潤んでいる。奴のこんな姿を見るのは初めてで、びっくりするやら驚くやらキモイやら。
スノウと呼ばれた青年は、オークにされるがままになっている。感極まるオークとは対照的な、判ってるんだか判ってないんだかな表情で、俺は確信を持った。
「おい、落ち着けオーク。そいつは本当にお前が知る奴か」
「――テッド、いつの間にっ!」
どうやら俺たちが入ってきたのにも気づいてなかったらしい。
全くもって、いつものオークからは想像もつかない取り乱しっぷりだ。おちゃらけた笑顔の下で抜け目なく周りを窺っている軍主の、仮面を捨てさせるほど大事な存在って事か。
「断っておくが、ちゃんとノックはしたからな」
つかつかとオークたちの傍に歩み寄る。
「よく見ろ。こいつは本当にスノウか?」
「当たり前じゃないか。俺がスノウを見間違える訳………」
スノウへと視線を戻したオークの表情が、見る見る強張って行く。
「……違う。スノウじゃない」
あんなに盛り上っていたくせに、ちょっとの後押しですぐに冷静な判断が下せるあたり流石だ。
「そうだ。そいつはお前の知る奴じゃない。更に言うなら人間でもない。今こいつはどこから現れた?ちゃんとドアから入って来たか?」
「人の気配を感じて顔を上げたらそこに彼がいた……人間じゃないって、テッドは彼の正体を知っているのか」
言いながら、オークがハッと目を見開いた。奴自身も気づいたらしい。
「まさかさっきの」
「ああ。例の精霊だ。精霊は自由に姿を変えられる上、空を飛べて壁をすり抜けられる。最初は俺で、さっきまではアルドの姿だった。何故かアルドになったら、俺にも見えた。俺以外の奴には相変わらず見えてなかったみたいだけどな。そして今度はスノウって奴の姿になり、そしてお前も見えるようになった。さて、これの意味する所は?軍主殿」
「アルドの時はテッド、テッドの時はアルド、俺の時はスノウ」
アルド、俺、自分の順に指差し、
「……大切な人の姿をとる精霊?」
ドスッ
とりあえず、奴のボディに拳一発。
「ぐっ…図星だからっていきなり殴るなよ、テッド!」
「図星じゃねぇ!」
「図星以外の何だっていうんだよ。……おっと、二発も食らってやる義理はないよ」
もう一度打ち込んだ拳をひらりと避け、オークはスノウという奴の姿になった精霊に向き直った。
「全く人騒がせな精霊だな。その姿を見た時俺がどれだけびっくりしたか判るかい?ああ、責めてる訳じゃないんだよ。頼むからそんな顔しないでくれ。スノウに泣かれている気分になる」
オークは少し寂しそうな笑みを浮かべ、佇む精霊の頬にそっと触れた。
「前二回の時は、周りに仲間たちがいて我慢できたけど、今日は不意打ちだったから抑えられなかった。願望が幻になって現れたのかと思ったよ。スノウ、会いたかった。会いたい。今君はどうしてる?殺せと命じた君に逆らって、海に流した俺のことを恨んでる?仲間になって欲しいといえば、君は俺の手を取ってくれたんだろうか。君の願い通り首を落としていれば、最期の時は笑いかけてくれたかい?それともどちらを選んでも、君がもう俺に笑顔を向けてくれることはないのかな。そんなに俺が嫌いだった?許せなかった?俺の好意は重いだけだった?答えてよ、スノウ」
「…………」
傍若無人なオークがこんな風に懇願する姿を初めて見て、俺もアルドも声を出せずにいる。
「これ以上俺の想いが負担にならないように、君を突き放した。君に依存しなくても生きていける事を見せ付けた。俺は君がいなくても、ちゃんと軍主をやってるし、笑ってるよ。だからもう、俺の想いに脅えないで。ちゃんと自分一人の足で立つから、俺を否定しないでよ……」
精霊にしがみつき、子供のように許しを請うオークの背は、いつもと違ってひどく頼りなく見えた。
精霊は人間に聞こえる音を発声することはできない。それをオークに告げてやるべきか悩んで、結局黙った。
本物相手にはできない告白を、虚像に託しているのだ。俺やアルドの存在すら忘れるほどに。
精霊の腕が上がり、オークを抱きしめる。驚いて顔をあげたオークの頬に、精霊の手が添えられた。
「スノウ……!」
先ほどオークがしたように指先で柔らかく頬を撫で、にっこりと微笑んだ。
「スノウ!?」
上がる筈の歓喜の声は、驚きに塗り替えられた。精霊の姿が消えていく。またどこかに移動するのかと思いきや、オークの腕の中に留まったまま、段々透明になっていく。
「待ってくれ!まだ行かないで。もう少しだけ…っ…」
「!!」
オークの願いも虚しく、微笑を残して精霊の姿は霧のように消え失せた。
しん…と室内に落ちる静寂。
「…行っちゃった、のかな……」
「みたいだな」
恐らく今度は船内のどこを探しても、精霊はみつからないだろう。
いきなり現れて、かき回すだけかき回して勝手に消えるなんて、お騒がせな奴め。
混乱は残るものの、先に我が身の安全を確保するために、アルドの服の裾を引いて物音を立てないようドアへと向かう。オークが我に返る前に逃げ出さなければ。
成り行きとはいえあんな告白を聞いてしまって、ただで済むはずがない。
「テッド、アルド」
だがしかし、願いは叶わなかった。ドアにたどり着く前に、いつものオークの声が室内に響いた。
「そんなに急がずに、お茶でも飲んで行きなよ。俺はお茶淹れるの上手いよ」
「いや、遠慮しておく」
「遠慮なんていらないって。俺たちの仲だろう?」
「どんな仲だ!」
ああ、ツッコまずにはいられない自分の性格が恨めしい。
「精霊の姿を見て、惑わされた仲(はあと)
語尾にハートくっつけてんじゃねぇぇえ!
「惑わされたって何だよ!」
「そのまんまの意味〜♪」
いつもの企み笑顔で、頬に指を当ててにっこりポーズ。いい年した男がそれはやめろっ。
ってまさかオークの奴、俺が奴の姿をした精霊に何をしようとしたか気づいて……?
恐る恐るオークを伺うと、『俺は全部知ってるんだよ』と言わんばかりの満面の笑みがそこにあった。
十中八九ハッタリだというのは判っていても、奴の場合、もしかしてと思ってしまうのが恐ろしい。
暫くの後、結局俺たちはオークの部屋で茶をすすっていた。
自慢するだけあって、オークが淹れた茶は美味かった。丁度よい温度と渋味が、茶菓子の饅頭の甘みを引き立たせている。
「あの精霊は一体何しに来たんだろうね…無事に故郷に帰れたかな」
「さぁな」
早くこの部屋から逃げ出したくて、饅頭を茶で流しこむ。
「今日は何もしないから、ゆっくり食べなよテッド」
今日はかよ、のツッコミは心の中で。余計な口をきけば、その分この部屋を出るのが遅くなる。
「ただ判ってると思うけど、二人ともさっきのことは他言無用のこと。特にケネスを除く騎士団のメンバーには絶対内緒にするように」
「ケネスはいいのか?」
「ケネスはいいんだ」
つまりケネスには話せってことか。
ラズリルから一緒だという苦労性の顔を思い浮かべて、俺は軽く同情した。
ケネスはオークが一番信頼しているらしい人間だが、軍主の右腕という輝かしい立場に反して得る利益は少ない。ケネスがいつもオークの尻拭いに駆けずり回っているのは、俺だって知っている。
「まあ何にせよ、ちょっとした御褒美を貰った気分だよ。やる気出た。これでまた明日から地道な宝探しも頑張れる!」
「また宝探しかよ。いい加減クールークに攻め込もうぜ」
げんなりした気分で呟くと、オークはちっちっと人差し指を左右に振り、
「駄目駄目。アイテムは全部ゲットしてから最終決戦に挑まないと。勿体無いじゃないか」
「勿体無いって、どうせこの先使えるアイテムは限られてるだろうが」
「二周目に回せるだろ。ポッチもできるだけ稼ぎたいし〜」
「二周目って何だ!?」
その後もしばらくツッコミが続き、ようやくオークの部屋を後にした時には夕食の時間になっていた。



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