第三章 僕は君の何を見るべきなのか



グレミオたちと別れたシオンは、城門の所まで戻ってきていた。
カナンに見つからないよう、辺りに気を配りながら城内に入る。
姿が映るほど美しく磨き上げられた床、赤月帝国の名の通り赤を基調とした豪奢な造り、要所要所に立つ屈強な兵士たち――初めてバルバロッサに謁見した時の感動が思い起こされる。
だが後にこの美しい城に攻め入り、皇帝の首を落とし、破壊するのは紛れもない自分なのだ。
もし今皇帝に諫言する者があれば、未来は変えられるかもしれない。
例えば父、テオ・マクドールの言葉ならば。同じく五将軍の一人であり、バルバロッサとの最後の対決において、「主君を窘めるのも忠義」と唱えたミルイヒ・オッペンハイマーならば。
父は既に北方に旅立ってしまっているが、ブラック・ルーンに支配される前のミルイヒであれば、シオンの言葉に耳を貸してくれるかもしれない。
――いや、彼らの説得があったとしても、皇帝の心を変えることは不可能だろう。
かつて空中庭園で敵として対峙したバルバロッサは、年齢以上に老け込み、疲れきっていた。
身内同士で争った継承戦争、ジョウストン都市同盟との国境紛争と、辛い戦いを乗り越え勝利した彼を襲った、愛妃クラウディアの死。
悲しみを紛らわす為に打ち込んだ、荒れ果てた国土の復興。
平和を手にした後の彼は抜け殻だった。信じる者、愛する者を失い、虚無に打ち震える彼の心が、妻の面影を残すウィンディを求めたのは当然だった。
栄光も勝利も、愛する者なくしては塵に等しい。
今なら判る。彼がどんな想いで、空中庭園に忍び込んだフッチを逃がしたか。
望んでいたのは死。己の私情でウィンディの暴挙を止めず見過ごしてきた彼は、死に場所を求めていた。民衆が、己の首を取るのを待っていた。
許され、もう一度「黄金の皇帝」として生きることなど、望んでいなかった。
シオンにできるのは、輝ける赤月帝国最後の皇帝に、その名に恥じぬ死を。
強大な敵への賛美を、歴史に残すことだけだ。
広い城内を奥へ奥へと進む。テッドたちは見つからない。
恐らくウィンディの部屋に連れて行かれたのだろうが、謁見の次は攻め入る側となっていたシオンは赤月帝国としての城内には詳しくない。
造りはトラン共和国となった後と大体同じなので、宮廷魔術師がいるとすればあの辺りだろうと見当をつけて、階段を上っていく。

ドオンッ

城を揺るがす大きな爆発音に、シオンは反射的にその方向に走り出していた。
階段をかけ上り、壁を一つ曲がった所で息を飲む。
壁がない。
堅固な城の壁にぽっかりと開いた大きな穴。その向こうにはグレッグミンスターの町並みが広がっている。
内側からの力でこじ開けられたらしいそれは、外に向かって張り出していた。壁紙が垂れ下がり、砕けた壁財がぱらぱらと剥がれ落ちて続けている。
「……!テッド!」
部屋の中央には、ボロボロになったテッドがうつ伏せで倒れていた。同じく部屋の入り口で伸びているカナンを飛び越え、テッドに駆け寄る。
「テッド!テッド、しっかりするんだっ」
遅かった。テッドが紋章を使うのを止められなかった。
狭い空間で放たれた強大な力は、術者にもその牙を剥く。ソウルイーターに引き裂かれ、血まみれになったテッドの体。
「………シ…オン……?何で…ここに………」
「しゃべるな!すぐに連れて帰って手当てするからっ」
ウィンディの姿はない。とっくに避難したらしい。逃げるなら今だ。
「じっとしてて」
傷ついたテッドの体を抱えあげると、急いでその場を離れる。
爆発音を聞きつけた兵士たちの足音が近づいて来た。手近な部屋に入り彼らをやり過ごすと、勝手知ったる何とやらで兵士たちの裏をかきながら城を脱出する。
後はひたすら安全な場所を目指して走り続けた。





ザアアー

激しい雨がグレッグミンスターの町に降り注いでいる。
部屋の明かりはつけていない。時折光る雷が、厳しい表情で窓辺に立つシオンの頬を照らし出す。
奥のベッドでは、手当ての終わったテッドが静かに寝息を立てていた。
シオンがテッドを運んだのは、マクドール家ではなくテッドの家だった。
恐らく追っ手はこの家にも来るだろうが、少なくともグレミオたちを巻き込まずに済むし、それまでは邪魔されず二人だけで話が出来る。
あの頃はグレミオ任せだった傷の手当ても、今ならシオン一人で充分だった。
戦争中に少ない物資でいかに効果的に手当てするかを学んだ身としては、消毒液も包帯も揃っている状態での手当てなど簡単だった。
暖炉にくべた薪がぱちぱちと爆ぜる。シオンは窓辺を離れてスッとカーテンを引いた。
明かりをつけなくても、部屋が暖まって窓が曇れば、人がいることに気づかれてしまう。
「………う……うううん…」
テッドが目を覚ましたらしい。
ベッドに歩み寄り床に膝をついて、傷から来る熱と痛みに呻くテッドの顔を覗き込んだ。
「目が覚めたかい?」
「シオン……ここは……?」
「テッドの家だよ。屋敷よりこっちの方が落ち着くだろうと思ってさ。傷はどう?」
「傷………まさかお前が手当てしてくれたのか?」
綺麗に巻かれた腕の包帯を見て驚愕するテッドに、やんわりと微笑む。
「いつの間に…こんなこと、できるようになったんだ…?………まあ…いいか。サンキュ…迷惑……かけちまった…みたいだな」
「迷惑なんかじゃないよ。親友だろ、僕たちは」
「親友…か…………」
テッドの顔に自嘲的な笑みが浮かび、そして。
「シオン…一生のお願いだ…俺の…頼みを…聞いてくれるか…?」
来た、と思った。時間が戻り、今は何もない右手を無意識に掴む。
「……何だい?テッド」
「俺の…右手の…手袋を…は……外してくれ……」
一瞬祈るように目を伏せ、それから血のりで張り付いた手袋を丁寧に外した。
見慣れた紋章が現れる。
「…これは27の真の紋章の一つ…『ソウルイーター』…呪いの紋章…」
テッドがとつとつと紋章についてを語りだす。
テッドが眠っている間、ずっと考えていた。
テッドは目を覚ましたら、自分に紋章を預けようとするだろう。その時何と答えるか。
三百年の間真の紋章を宿していたテッドは、紋章を外したら長くは生きられない。
例えウインディの手から守り通せたとしても、紋章を継承してしまったら、一定時間が過ぎた所で、シークの谷の時のようにこの腕から掻き消え、遺体すら残らず――
「俺は…この傷じゃ…あの女魔法使いから……逃げ切ることは……で…出来ないだろう……」
追っ手はきっとここにも来る。傷ついたテッドをこれ以上動かすことはできず、あの女に紋章を渡さない為には、シオンが持って逃げるしかない。
過去の紋章の村で見た光景。ウィンディに紋章を渡さないために、命をかけたテッドの祖父の姿は忘れられない。彼の為にも、紋章は何としても守らねばならない。
「と…友に…不幸を…もたらすと……知っていて…それをするのも…た…正しいことじゃない……」
そしてそれが、幼いテッドの心にも深く刻まれたという事をシオンは知っている。
テッドは自分の命と引き換えにしてでも紋章を守るだろう。それが祖父との約束。祖父への想い。テッドが生きてきた存在意義。

テッドが生き延びるためには――紋章を受け取ってはならない。
紋章を渡さない為には――自分が継承するしかない。

ごくり、と息を飲み込む。
もっと時間があれば、と悔やまれてならない。時間があればあらかじめ馬車を用意し、国外へ逃げることも出来た。
だが運命が与えてくれた時間は、誰にも知られずそれを用意するだけの余裕はなく。
結果、自分は厳しい選択を迫られている。
「だけど…でも……お、俺にはお前しかいないんだ!『一生のお願い』だ!この紋章を守ってくれ!」
前の時は、躊躇いなくうんと答えた。苦しい息の下、必死に頼んでいるテッドのお願いなら、何でも聞いてあげたかった。それがどんな辛い事でも構わなかった。
だが今は。未来を知ってしまっている今は。
「お願いだ、この紋章を受け取ってくれ……っ」
テッドの命か、テッドの生きた証か。
どちらを選ぶ?
頭の中で、一際大きく鈴が鳴り響く。

リーン……リーン…


「判った、安心しろテッド」
「嫌だ」